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西澤定­吉 水道事業に尽くした 西澤定吉


 西澤定吉は明治4年11月4日、西村山郡大谷村(現朝日町)の鈴木清助の次男として生まれ、20歳の時、天童市老野森の西澤忠右エ門 家に養子として迎えられた。

 その後、東京の専修学校に入学し、学問を修めて帰郷した。再び天童に戻った西澤は、郡の農会議員に選出され議長を務めた。また、郡会議員、県農会議員、県議会議員等の要職につき、明治41年衆議院議員に立候補し初当選をはたした。その後も大正9年、13年、昭和5年と衆議院議員選挙に当選した。

 西澤は大正5年に、第10代天童町長にも選出され、11年、13年、昭和7年と4期町長を務めた。

 西澤定吉は国会議員、県会議員として様々な功績を残しているが、天童町長として取り組んだ水道事業は、町民の生活に大きな影響を及ぼし、その後の天童の発展の基礎を造ったといえる。

 大正12年頃までの天童は良質の飲料水に恵まれなかった。町の両端の北目、久野本は掘りぬき井戸で飲料水を確保できたが、町の中央部は雨期になると濁水だけで飲料水には適しない水であった。仲野半四郎前町長からこの課題を引き継いだ西澤は、町の発展を妨げているのは飲料水問題であると決意し、当時山寺村だった荒谷地内の立谷川伏流水に水源を求めた。

 総工費29万円という当時としては巨額を投じた水道事業であったため、財政の困難を極めていた天童町にとってはまさに町政始まって以来の大事業となった。その上、飲み水にお金がかかるなんてとんでもないという町民の意識などもあって、この事業は難航したが、県からの補助を受け大正14年4月に完成した。この水道の完成は長い間飲み水に悩まされてきた天童町民に大きな喜びを与えた。

 西澤定吉は、晩年糖尿病を患い、昭和16年9月24日に病死した。享年69歳であった。
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