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伊藤礼­太郎 原崎沼のカモをガンマニアから守った  伊藤 礼太郎

 伊藤礼太郎は、明治30年5月8日、天童市(旧北村山郡山口村)に生まれた。
 
 山口地区には、原崎沼という自然沼があり、この沼は、数百年前からカモの保養地になっていた。明治に入って付近を開田するにあたり、沼を拡張し灌漑用水として使用してきた。また、ここでは網を張ってのカモ猟が以前から認められ、「カモ組合」をつくって、猟銃の使用を禁止しながらカモを守り続けてきた。

 伊藤礼太郎は、この「カモ組合」の組合長を務めており、多くの人たちから「カモ爺さん」の愛称で呼ばれてきた。

 昭和20年の終戦を迎え、近くの神町に多くのアメリカ軍が駐留した。一部の進駐軍は猟銃によるカモ猟の禁止を破り、鉄砲によるカモ打ちを始めた。

 伊藤組合長は、原崎沼のカモを守るため、原崎沼の入り口に立ち、身体を張ってアメリカ兵と渡り合った。銃声に驚いたカモは姿を見せなくなっていった。カモ爺さんは役場や県庁を訪れ、カモを撃つことをやめさせてほしいと訴えた。しかし、敗戦国の弱みから、断られた。

 その後、神町の進駐軍司令部に出掛けて、立入禁止区域にしてくれるよう直談判した。進駐軍司令部のウイリアム大尉に対し、原崎沼が日本一のカモ網猟の場であること、当番制で見回りを続けていること、カモが安心できるよう沼の静寂を保っていること、冬場はすが割りの苦労があることを訴えた。その後、ウイリアム大尉は、原崎沼を訪れ、「立入禁止」と英語で書かれた立て札を立ててくれた。

 しばらく原崎沼に寄らなくなったカモたちも、次第に姿を見せるようになった。これらの活動で、日本鳥獣保護連盟より表彰を受けた伊藤礼太郎は、昭和41年のカモ猟の最中に、網を持ったまま倒れ、11月8日帰らぬ人となった。享年69歳であった。
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